月面
 
今回は伝記のご紹介です。
歴史好き&科学好きの小学生には,すごくおすすめの伝記です。知名度はそれほど高くありませんが,麻田剛立(ごうりゅう)という江戸の天文学者はご存知でしょうか?

月面に展開するたくさんのクレーター。
現代の天文学者によって,その一つひとつに過去の偉大な天文学者や科学者の名前がつけられています。クレーター・コペルニクス,クレーター・ケプラー,クレーター・アインシュタイン……。そうそうたる西洋科学者の名を付されたクレーター群のなかに,<アサダ>と日本人名を付されたクレーターが存在します。
アサダとは誰のことでしょう?
-本文から引用-

 
月のえくぼを見た男-麻田剛立

 
※児童書ですが内容がやや難しいです。早くても小学5年生からの読書をオススメします。
 
まず,この麻田剛立という人物,興味深いのが本業は町医者です。その傍らで,天文学・天体学を研究し,世間に名を広めた人物です。
 
主な功績として,
 
・日本で3番目に古い解剖書に携わる
麻田剛立の本業は医師です。大坂でお世話になっていた中井履軒らと共に,解剖書「越俎弄筆」に携わります。これは中国医学の影響を受けた「五臓六腑説」を否定するもので,後の有名な「解体新書」につながっていきます。
 
・ケプラーの第3法則を独自で発見した
「惑星の公転周期の2乗は、軌道の長半径の3乗に比例する」これがケプラーの第3法則です。歴史なので不確かですが,これが伝わる前に剛立は独自にこの法則を理解していました。これは日本天文学史上最大の快挙でしょう。
 
・宝暦暦の間違いの指摘 日食を予言
このBLOGでもご紹介させていただいた天地明察の渋川春海の後の話です。天地明察でも日食を的中するようなお話でしたが,この剛立も,当時の暦が間違っていることを指摘しました。独自で観測を続け日食を予言していたのです。
 
渾天儀

西洋の渾天儀

 
・日本最古の月面観測図を描く
オランダ製の望遠鏡を使って,月面の観測に成功します。当時,月がどういったものかあまり判明していませんでした。剛立は土でも水でもない謎の物体と考え,月面の様子を「重い水ぼうそうにかかった人のようだ」と例えています。また,クレーターを「池」と表現し,その様子もスケッチしました。
 
・大坂に天文塾 先事館を設立
剛立自身は歴史の表舞台にはそれほど登場しません。大坂では弟子の育成に努め,寛政の改暦に携わった高橋至時や間重富などを指導します。麻田剛立からスタートした麻田派なる流派から多くの優秀な人材が生まれていきます。
 

とにかく歴史好き&科学好きにはオススメの伝記です!

この本によると,剛立は幼少期から太陽や月などの天体に興味を持ち,医師としては途中で挫折のようなものも経験しながら,そのマルチな才能で,特に天文学に関して偉業を成し遂げるのです。
 
さらに,彼は町医者を本業としている民間の天文学者なのです。幕府の命で天体観測をしているわけではありません。独立して仲間や弟子を募って功績を残していったわけです。
 
しかも,剛立は杵築藩(大分県)をあることが理由で脱藩するのです。脱藩といえば坂本龍馬の話をイメージできますが,藩を抜けることは死罪と同等なほど罪が重いのです(後に脱藩の罪は許されます)。
 
江戸時代
また舞台の大半は大坂なので,大阪人の立場からするとすごく馴染みのある地名も話にたくさん登場してさらに楽しめます。
 
もちろん,日食の解説や望遠鏡の仕組みなど,すごく詳しく説明されているので科学に興味をお持ちの方にもオススメです。
 
剛立が月面を観測したのは約250年前です。現代では人類はすでに月面に着陸し,剛立が過去にスケッチしたクレーターには彼の名前が付されています。
(剛立が発見したクレーターに彼の名前が付いているわけではない)
 
江戸の天文学をみなさんも勉強しませんか? 歴史好き&科学好きにはすごくオススメの1冊でした。
 
ちなみに麻田剛立の墓は,図形NOTE算数教室のすぐ近く谷町筋の淨春寺にあるそうです。大阪星光学院のすぐ近くです。時間をみつけて訪ねてみようと計画中です^_^;
 

 
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