坂の上の雲

 
遅ればせながら「坂の上の雲」を毎朝少しずつ読んでいます(^^)
 
激動の時代 明治,富国強兵のもと,列強に追いつこうと近代化していく日本。当時の若者がどのように考えどのように生きたのかを描いた司馬遼太郎の代表する歴史小説であることは説明するまでもないでしょう。
 
登場人物として話の軸になるのが次の3名です。
 
秋山真之wiki
・日露戦争の海軍 作戦担当の参謀
・ロシアのバルティック艦隊を撃滅し日本の勝利に貢献
・出撃時の電報「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」で有名
 
秋山真之
 
秋山好古wiki
・真之の兄で陸軍大将で「日本騎兵の父」と呼ばれた
・酒を好む豪傑な人物で,一切の妥協の無い生き様を描写
・物語は教員時代の好古のエピソードからスタート
・退役後も松山の中学校長を務める教育者
 
一応,誤解の無いように記述しますが,このBLOG記事は日本の過去の戦争を肯定する主旨ではございません。今回ご紹介する人物は紛れもなく軍人ですが,当時の若者が国のために働くために学問を励み,立身出生するのが何よりのことだと考えられていました。そういった偉人の生き方を学び,少しでも現代社会に生きる皆さまにも応用できれば幸いです。
 
そしてもう1人,
 
正岡子規wiki
・真之の同郷の友人
・「ホトトギス」などを創刊,近代文学に大きく貢献した俳人
・「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」で有名
・病気と戦いながらも創作活動に努め,若くして亡くなる
・文学を通じて野球を広めた
(バッターを「打者」,ファーボールを「四球」などを命名)
 
このBLOGでは,秋山真之に注目してお話したいと思います。好古や子規の話を含めると記事が3倍になります(^_^;)
 

東大を辞めて海軍に入兵した異才 秋山真之

真之は愛媛県の松山藩出身で,同郷の正岡子規に刺激を受け,東京帝国大学を目指すために上京します。当初は子規らと同じく文学の道を志していましたが,陸軍の軍人である兄の影響や学費の問題もあって,中退し,海軍兵学校に進み,そこでは首席で卒業し海軍の軍人となるのです。
 
松山中学(現在の松山東高校)
→ 共立学校(現在の開成高校)
→ 大学予備門(現在の東京大学教養学部)中退
→ 海軍兵学校 といった経歴です。
 
ちなみに松山東高校は愛媛を代表する進学校で,夏目漱石の「坊っちゃん」の舞台としても有名かと思います。また,昨年は甲子園にも出場し話題になりましたね。野球を命名した正岡子規の母校でありますし。
 

海軍の頭脳は学生時代「試験の神様」だった!

話を真之にもどします。
日露戦争では,日本海戦の作戦を立案し勝利に大きく貢献したのは上で紹介した通りです。
 
日本海軍

(中央が東郷平八郎でその右が秋山真之)

 
序盤では幼少~学生時代に,真之はどのように考えどのように行動していたのかが丹念に紹介されています。そして,真之は日本海軍の頭脳となります。詳しくは是非ご覧ください。
 
さて,ここでは,
真之が大学予備門の学費を工面してもらっている兄の好古をたずね,将来の相談をする会話シーンから色々と学ぶことがあったのでご紹介させていただきます。

真之「あしは、今のまま大学予備門にいれば結局は官史(役人)か学者になりますぞな」
好古「なればいい」
真之「しかし第二等の官史、第二等の学者ですぞな」

学問の道に進んでも,役人になっても自分は1流になれなく2流だと話す真之。その理由を兄が聞くと

真之「兄さんの前であれですが、大学予備門は天下の秀才の巣窟です。まわりを眺めてみれば、自分が何者であるかが分かってきます」

上で述べたように,国のために貢献することは学生の大志でした。貧しくても学問に励むことで立身出世できた時代です。これは福沢諭吉の「学問のすすめ」と同じ話です。また,大学予備門(東京大学)には真之と同じように全国の優秀な若者が集まります。そこで揉まれて自分の限界を知ったのです。

好古「何者かね」
真之「学問は、二流。学問をするに必要な根気が二流」
好古「根気が二流かね」
真之「おもしろうがおもしろくなかろうがとにかく堪え忍んで勉強していく意味の根気です。学問にはそれが必要です。あしはどうも。要領がよすぎる」

学問は,淡々と根気よく取り組むものだと話します。そして「要領が良すぎる」と自己分析します。

「要領がよすぎる」ということばには、真之の自嘲と、それとは逆にひそかな誇りがこもっている。一種天才的な勘があって、真之は学校の試験などの場合、ヤマをあてる名人であり、予備門の仲間から「試験の神様」というあだ名がついていた。いざ試験範囲のなかの要点を見きわめ、後はすさまじいほどの数でやりあげてしまう。そのとき友人たちにも「これとこれが出る」と教えるのだが、それが必ずといっていいほど的中した。

日露戦争の海戦で,戦局を左右する大きな決断をしたように,試験でも傾向と対策を企てて,ヤマを当てていたそうです。
私も試験の神様に学生時代に出会いたかったです^_^;笑

「なぜ、そのように当たるのだ?」と友人が聞くと、真之は「自分が教師になったつもりで検討するのさ」といった。さらに「教師には好き好みがある。それを参考にする。ついでに過去の統計も必要だ。それは上級生にきけばわかる」

真之は海軍でも当時では珍しく,表を使った分析を取り入れたそうです。その真之の高い分析力を買われて,日露戦争では東郷平八郎のもとで作戦を立案する要職につき日本軍を勝利に導きました。
 

試験は天から降ってくるものでは無い!人が作るものです!

ここからは受験と勉強の話。
いうまでもなく,算数のテストも結局は出題者が作るものです。
試験作成が素晴らしい学校においては,
出題者の先生は「解けない問題を多く出す」よりも,当然ながら「解ける問題を出題する」ことに重きをおいています。
 
ひらめき
究極ですが,問題1つ1つから出題者のメッセージを感じることができるのです。
この感覚が理解できれば,どんな受験生も無敵なのですが。。。。
 
解く人がいるから問題を作るのです。誰も解けない問題を作っても意味がないでしょう。
 
ちなみに,算数星人のWEB問題集を振り返ると,できる限りメッセージを伝えれるように作問しました。私も「どう解いて欲しいか?」を一応考えて作問しています。
 
ここまでの話は,中学受験生では,何となく理解できればいいのではないでしょうか。すごく意識の高すぎることを加えると試験問題と会話できる域を目指して欲しいものです。ニュアンスが伝わらなかったらすいません。
 

やはり「要領よく勉強する」のが理想

海戦での敵の動きを予想するかのように,真之は試験でも傾向と対策を練ったようです。
 
中学受験においても出題傾向を分析するのはいうまでもないでしょう。特長のある学校が大半なので,過去問を解き進めながら独自で傾向分析と対策を行うべきだと思います。もちろん,こういった入試分析などは学習塾の業務ですが,それを自分なりに解釈することがとても大事だと思います。
 
ワケが理解できずに「ココが出るから覚えておこう!」という教師の言葉を,真に受けるのはとても危険だと思います。
 
また,ヤマを張る方法はリスクが伴うので,すべて場合で有効とは限りませんが,自分の弱点に対してヤマを張るのが理想だと思います。ただ単に試験範囲を万遍なく時間を多く掛けて学習することよりも,自信の無いことを優先して学習すればいいでしょう(逆でも良い)。
 
砂時計
テスト対策は自分でコントロールできます。自分の得意不得意をしっかり把握して,苦手なところを絞って学習するとよいでしょう。できるだけ短い時間で大きな成果を上げたのが,真之の学習方法だと思います。
 
大事なのは勉強時間よりも勉強の質なのです。
 
受験生となると時間も限られます。やはり有効に時間活用できた生徒が,良い結果を出していると個人的には思います。
 
最後に,中学受験BLOGっぽい言葉で締めると,
ダラダラ勉強しないでメリハリのある学習を心がけましょう。
短い時間で多くの成果を得れるように,集中して学習に努めて下さい。
 
 
(注意)お子様のタイプによっては,コツコツ学習する方が成果が出るタイプの方もおられるので,ここでの内容が全員に役立つアドバイスになるとは限りません。