久しぶりのBLOG投稿です。昨年度からの写真がたくさん溜まっていましたので少しずつ記事にしていければと思います。
2020年4月現在は新型コロナウイルスの影響で旅行業界が大打撃となっておりますが,この事態が終息した後はいろいろなところへ行けたらなと思いながら投稿したいと思います。
夏期が終わったのでずっと訪れたかった軍艦島(長崎)に行ってきました。 pic.twitter.com/VPWhRCIOvZ
— 算数星人 (@sansu_seijin) September 3, 2019
他にも孔子廟、出島、亀山社中跡地、グラバー邸などなど。また機会があればブログに写真アップします。 pic.twitter.com/S1EU2SFQ91
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本日から教室お越しいただいた生徒たちにはお土産を配布しております。無くなり次第終了です。 pic.twitter.com/KhH6J9pGxc
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2019年秋頃に長崎方面に行ってきましたのでそれの投稿です。もしご興味ございましたらご覧下さい。
亀山社中
亀山社中とは,幕末期に坂本竜馬が結成した海援隊の前身になる組織です。動乱の時代,当時海外との玄関口でもあった長崎を拠点に商社活動を行っておりました。
竜馬が興した亀山社中が海援隊になり,土佐藩の支援も受けて,竜馬没後は岩崎弥太郎のもとへと引き継がれていきます。
亀山社中→海援隊→土佐商会→九十九(つくも)商会→三菱商会→郵便汽船三菱会社→三菱商事
岩崎弥太郎は三菱グループの創設者です。
ここにずっと訪れたく,今回の旅の一番の目的地でした。
市街地から少し離れた山手にあります。(長崎は海と山が非常に近い土地です)
徒歩で行く場合はそこそこ歩きますのでご覚悟を。
資料館の中にあった模型です。なんともない日本家屋が亀山社中の拠点でした。
海援隊の隊士の木札の復元がありました。坂本龍馬のすぐ左の陸奥陽之助は後の外務大臣陸奥宗光です。
不運な死をとげる隊士も多い中,最も出世した人物です。
建物の外にはブーツと舵のオブジェが。下駄などを入っていた時代に,竜馬は西洋のブーツの利便性に興味をもち着用していたと話があります。
そこからさらに登ったところにある風頭公園には坂本龍馬の銅像があります。
右の旗は海援隊の隊旗です。この場所から街を一望できます。
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の一文の碑があります。
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教室の本棚より
ちなみに,この山を下ると眼鏡橋という観光スポットもありました。
ここから少し進んだところに出島の跡地がありますので訪れたいと思います。
出島
出島は江戸時代鎖国体制下でも海外との貿易を認めていた地域です。
現在はビルに囲まれて出島になっておりませんが,当時の場所には出島跡地として資料館などがあります。
屋外には当時の状況を再現した巨大ジオラマ。
資料館の中にはより詳しいものが。
当時を再現(復元)した建物がたくさんあります。畳の床にテーブルを置く和洋折衷な内装です。
洋式の食器などがたくさんディスプレイされています。
中国(清)との貿易もあったため,中国の美術工芸品もたくさん展示されていました。
こういった図録を買いました。
グラバー園
続いてグラバー園です。
トーマス・グラバーは幕末に長崎で活躍した英国商人です。
・武器商人として亀山社中や薩摩藩と取引
・維新後は明治の日本の近代化に貢献
・長崎にドッグ(船を建造する施設)を建設し造船の街として発展
・国産ビール(後のキリン)の育ての親
グラバー商会の事業はここに書き足りないほどです。
そのグラバーの邸宅はもちろん,外国人居住地の建物がたくさん遺されています。
写真はグラバー邸の模型ですが
あいにくこの時期は工事中(整備中)でした。残念。
こういった洋館が丘の上にたくさんあります。
オルト邸です。
こちらは学校の校舎です。
リンガー邸です。
リンガーはグラバー商会の幹部でしたが,後にリンガー商会として明治の産業に貢献したそうです。
長崎ちゃんぽんで有名なリンガーハットというチェーン店は商人のリンガーから由来するそうです。
各建物の中には帆船の模型などが。
重要文化財の住宅の中に当時の内装が再現されています。
丘の上に位置するグラバー園ですが,目の前が港でちょうど巨大クルーズ船が停泊していました。
グラバーが大きく関わった長崎造船。三菱重工業長崎造船場のドッグも遠くに映ります。
このグラバー園のすぐ近くには大浦天主堂があるので寄ってみるとよいでしょう。
大浦天主堂
国宝のゴシック様式カトリック教会です。中はステンドグラスが美しいです。
すぐ横にキリシタン博物館もありました。
孔子廟(こうしびょう)
最後に孔子廟(こうしびょう)を紹介します。
孔子は中国の儒教の創始者で江戸の学問にも大きく影響します。
その孔子を祀っている建物を廟(びょう)といいます。東京の湯島聖堂も同じようなものです。
基本的にどこよりも空いていました。
中央が孔子の像
資料館もあったのでもちろん入ってみました。
色々ありましたが,気になったものだけ。
おそらく中国の将棋にあたる盤でシャンチーです。
おそらく孔子の弟子(賢人)を描いた版画のようなもの。孔子の弟子が孔子の言葉をまとめた書籍が論語で,現在でも勉強になる言葉がたくさん詰まっています。
渾天儀(こんてんぎ)も置いていました。天球儀で,地球からみて天体の位置を道具です。
言うまでもなく,渾天儀は地動説ではなく天動説に基づいて設計されています。
このBLOGでも紹介している渋川春海のストーリ「天地明察」でも登場している道具です。
(参考)解説あり!小説の中で関孝和が一瞥即解した算額の問題「天地明察」冲方丁
以上です。いかがでしたでしょうか。
近くには中華街もあり,幕末・西洋文化(キリスト教)・中華といろいろ楽しめる街でした。
写真にはありませんが,原爆関係の資料館なども行ってみました。
また次のBLOGでは,前々から行きたかった軍艦島の写真も載せたいと思います。
ご覧いただきありがとうございました。